ありのままで

ありのままで いいんだよ

――あいだみつをさんの心に学ぶ、やさしい仏の教え――

 寒い冬の日に、お寺の境内を掃いておりますと、落ち葉のひとつひとつが、まるで人の心のように思えることがあります。

 赤く染まった葉、ちぢれて黒くなった葉、まだ青さの残る葉。どれも違う形をしていて、どれも同じように風に吹かれ、やがて地に還っていきます。

 その姿を見ていると、ふと、あいだみつをさんの言葉が思い出されます。

 ――「にんげんだもの」。

 短いことばですが、そこにどれほど深い慈しみがあることでしょう。

 私たちは、つい「こうあるべき」「ああしなければ」と、理想を追いかけて苦しみます。

 けれど仏さまの眼から見れば、人はみんな未完成で、足りないところがあるからこそ、いとおしいのです。

 泥の中に咲く蓮の花のように、汚れや苦しみの中からこそ、美しい心が芽生える。

 それが、仏教のまなざしです。

1.できない自分を責めすぎないこと

 みつをさんの作品に、「つまづいたっていいじゃないか にんげんだもの」という詩があります。

 この一行を読んで、胸がふっとゆるんだことのある方も多いでしょう。

 人は、失敗をすると、すぐ自分を責めます。

 「あのとき、もっと頑張れたはずだ」「なんであんなことを言ってしまったんだろう」。

 そうして心を痛め、眠れない夜を過ごします。

 けれど、つまずくことは悪いことではありません。

 仏さまは、お釈迦さまの弟子たちにも「人は失敗を通して学ぶものだ」と教えています。

 たとえば阿難(あなん)という弟子は、とても心のやさしい人でしたが、いつも優柔不断で、肝心なところで迷ってしまう性格でした。

 しかし、そのやさしさゆえに、誰よりも人の苦しみを理解できたのです。

 できない自分を責めるのではなく、「これが今の私」と受け入れること。

 そこから、ほんとうの成長が始まります。

2.「今」を生きるということ

 みつをさんの詩に、こんなものがあります。

 「しあわせは いつも じぶんのこころが きめる」。

 人は、未来のことばかり考えて心配したり、過去のことを思い出して後悔したりします。

 けれど、仏教では「いまここ」こそがすべてだと説かれます。

 今を丁寧に生きることが、人生を豊かにする第一歩なのです。

 あるお年寄りが、こう言いました。

 「わしは若いころ、いつも“幸せになりたい”と思っていた。

 でも今は、“いま幸せだなあ”と思えることが幸せなんじゃな」。

 その言葉には、長い人生を生き抜いた人の静かな悟りがあります。

 どんなに小さな幸せでも、それを「ありがたい」と感じられたとき、私たちの心は満たされる。

 それが仏の心であり、感謝の心です。

3.比べないこと、争わないこと

 人間関係でいちばんつらいのは、「比べる」ことかもしれません。

 あの人は立派だ、自分はだめだ。

 あの人の子は成功している、自分の子はまだ……。

 そんなふうに心が競争を始めると、しあわせは遠のいていきます。

 あいだみつをさんは、若いころ、詩を書いても誰にも認められず、貧しさに苦しみました。

 けれど、ある日ふと、「自分は自分でしかない」と気づき、それ以来、筆の先からあのやさしい文字が生まれるようになったといいます。

 誰かと比べることをやめ、自分の歩幅で生きるとき、人はほんとうの自分に出会えるのです。

 仏教では「無我」といいます。

 自分という殻にとらわれず、他人と比べず、ただこの瞬間を生きる。

 そうすれば、心はやわらぎ、争いは消えていきます。

4.やさしさは 伝わる

 みつをさんの作品には、やさしさがにじんでいます。

 字も、まっすぐではなく、少しゆがんでいます。

 でも、そのゆがみが、なぜか心にしみる。

 それは、人の痛みを知っている字だからです。

 完璧なものより、不器用なものに、人はあたたかさを感じるのです。

 お寺でも、檀家さんの中には、毎朝お地蔵さまの前で手を合わせる方がいます。

 その姿は何十年も変わりません。

 何か特別な祈願ではなく、ただ「今日も無事でありますように」と、静かに手を合わせておられる。

 そのやさしさは、誰にも見えなくても、確かに周りを照らしています。

 仏さまの光というのは、派手ではありません。

 それは、ひとの心のなかにそっと灯る小さな光です。

 その光を持つ人がひとりでも増えたら、この世界はきっと、もっとあたたかくなるでしょう。

5.「ありがとう」の力

 あいだみつをさんの言葉の中に、こんな一節があります。

 「ありがとうって言えたら それだけでいい」。

 この「ありがとう」という言葉には、不思議な力があります。

 言う人の心も、聞く人の心も、ふわっとやわらかくなる。

 それは、仏教でいう「布施(ふせ)」のひとつです。

 布施といえば、お金や物を施すことだと思われがちですが、

 実は「ことばの布施」「笑顔の布施」「思いやりの布施」など、形のない施しも尊いのです。

 朝、誰かに「おはよう」と笑顔で言う。

 夜、家族に「今日もありがとう」と伝える。

 そんな小さな積み重ねが、人生を穏やかにしてくれます。

 仏教では、「一日一度 感謝の念を起こせば、それが修行になる」ともいわれます。

 修行とは、座禅だけでも、お経だけでもありません。

 日々の「ありがとう」にこそ、仏の道があるのです。

6.不完全のままで咲く花

 春になれば、桜が咲きます。

 けれど、花びらが欠けた桜も、散りかけの桜も、どれも同じように美しい。

 人生もまた、そうありたいものです。

 仏教の言葉に「一切皆苦(いっさいかいく)」があります。

 この世のすべては思い通りにならない、という意味です。

 しかし、そこに悲観ではなく、「だからこそ、生きていることが尊い」と気づく智慧がある。

 あいだみつをさんもまた、弱さや失敗の中に、光を見つけた人でした。

 その優しさは、きっと自分の痛みから生まれたものでしょう。

 誰もが、不完全なままでいい。

 むしろ、不完全だからこそ、人は学び、成長できる。

 仏さまは、そんな私たちをまるごと抱きしめてくださっているのです。

7.おわりに──心があたたまる場所

 法話の最後に、私が好きなみつをさんの言葉をもうひとつ。

 「うばい合えば足らぬ わけ合えばあまる」。

 この言葉を読むたびに、お寺の茶碗の湯気が思い浮かびます。

 寒い朝、お檀家さんたちと分け合う一杯の温かいお茶。

 それだけで心がほっとして、笑顔がこぼれる。

 そこに仏さまがいるように感じるのです。

 人は、誰かと競うより、誰かと分け合うことで、ほんとうのしあわせに出会えるのだと思います。

 それはお金でも地位でもなく、「心のぬくもり」を分かち合うこと。

 みつをさんの詩のように、ゆがんでもいい、不器用でもいい。

 ただ、自分のままで、いのちをまっすぐ生きていけばいい。

 仏さまの教えは、難しい理屈ではなく、「そのままで いいんだよ」というやさしい声なのです。

 どうぞ、今日も自分を責めず、誰かを責めず、

 あたたかい一日を過ごされますように。

 合掌

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