自分の目線

私たちは日々、「自分の目線」で物事を見て生きています。しかし、その見方だけにとらわれてしまうと、心は狭くなり、苦しみや対立が生まれてしまいます。

十一面観世音菩薩は、十一の顔をもって衆生を見つめる存在とされます。そのお姿は、ただ多くの方向を見るという意味だけではありません。さまざまな立場、さまざまな心に寄り添い、それぞれの苦しみや願いを受けとめる智慧を表しているのです。

たとえば、亡きお父様の目線に立ってみるとどうでしょうか。「あのとき厳しく言ったのはなぜだったのか」「本当はどんな思いで見守ってくれていたのか」と、これまで見えなかった愛情に気づくことがあります。さらに祖父母の立場に立てば、時代の苦労や家族を守る責任の重さが感じられるかもしれません。

また、我が子の目線に立ってみると、「なぜこの子はこんな行動をするのだろう」という疑問が、「この子なりに一生懸命なのだ」という理解へと変わっていきます。そこには、叱る心だけでなく、受けとめる心が芽生えてくるでしょう。

職場においても同じです。上司の目線に立てば、全体を見渡す責任や重圧が見えてきます。部下の目線に立てば、不安や戸惑い、支えを求める気持ちが伝わってきます。このように視点を変えることで、人間関係の中にあった摩擦は、少しずつ和らいでいくのです。

仏教では、「我執」といって、自分中心の見方にとらわれることが苦しみの原因と説かれます。だからこそ、十一面観世音菩薩のように、多くの顔、多くの心で物事を見ようとすることが大切なのです。

ほんの少しでかまいません。「もしこの人の立場だったら」と心の中で問いかけてみてください。その一歩が、自分の心をやわらかくし、周りの人とのつながりを深めていきます。

多くの目で見るということは、多くの心で生きるということです。そのとき、私たちの世界は、今よりも少し優しく、温かなものへと変わっていくことでしょう。

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