ヒートショック

冬の寒い夕べ、あたたかい湯船に身を沈めた瞬間、「ああ、生き返る」と感じることがあります。しかしその前後――冷えきった脱衣場から熱い浴室へ、そしてまた寒い空間へ――この急激な温度差が、私たちの身体に大きな負担を与えます。いわゆるヒートショックです。

あたたかい所と寒い所、その差が激しければ激しいほど、身体は驚き、耐えきれずに倒れてしまうことがある。これは医学の話でありますが、同時に、私たちの心のあり方にも通じる大切な教えを含んでいるように思います。

お釈迦さまは「中道(ちゅうどう)」を説かれました。苦行に偏ることも、快楽に溺れることもなく、その両極端を離れた道を歩むこと。それが安らぎへ至る道である、と。

ヒートショックは、まさに「極端」が生み出す苦しみです。寒から熱へ、熱から寒へ。激しい振れ幅が命を脅かします。仏教では、心もまた同じだと教えます。

たとえば、人からほめられたときには天にも昇る気持ちになり、少し批判されただけで地の底に落ち込む。うまくいけば有頂天、失敗すれば絶望。この心の温度差もまた、私たちの内面にヒートショックを起こします。

ではどうすればよいのでしょうか。

脱衣場にファンヒーターを置く、という工夫があります。浴室との温度差を小さくするために、あらかじめ脱衣場をあたためておく。たったそれだけで、命の危険が大きく減るのです。

ここに仏教の智慧を見ることができます。

私たちは、人生という大きな湯船に入る前に、心の脱衣場をあたためているでしょうか。

たとえば、朝のひとときに静かに手を合わせる。呼吸を整える。今日一日、何が起きても受け止めようと覚悟する。これはまさに、心のファンヒーターです。

いきなり世間の荒波に飛び込むのではなく、まず自分の心をあたためておく。すると、急な出来事が起きても、心の温度差が和らぐのです。

逆に言えば、準備もなく寒い心のままで、突然大きな出来事に直面すれば、心は驚き、乱れ、時に壊れてしまいます。

長谷寺では坐禅を大切にします。壁に向かって静かに座る。その姿は、一見何もしていないようですが、実は心の温度を整えている時間です。怒りや不安という冷気が入り込んでも、すぐに凍りつかないように、内側をあたためているのです。

また、他者との関わりにも同じことが言えます。

あるお年寄りが、冬の夜にひとりで入浴するのは危険だと聞き、家族が脱衣場に小さなヒーターを置きました。「そんな大げさな」と最初は笑っていたその方も、実際に体験してみると、「ああ、こんなに違うのか」と驚かれたそうです。

人の思いやりも同じです。

冷たい言葉と温かい言葉。その差は大きい。しかし、日頃から思いやりという温もりを周囲に灯しておけば、人は急激な寒さにさらされにくくなります。

仏教は「慈悲(じひ)」を大切にします。慈は楽を与えること、悲は苦を取り除くこと。これは特別なことではありません。脱衣場にヒーターを置くような、小さな配慮の積み重ねです。

人生には必ず、寒い季節があります。病気、別れ、失敗、老い。その時、いきなり熱い理想や強い言葉を浴びせられても、かえって心は追いつきません。

だからこそ、日頃から少しずつ心を整える。

過度に期待しすぎない。

過度に恐れすぎない。

良いときも悪いときも、振れ幅を小さくする。

それが中道の実践であり、心のヒートショックを防ぐ道なのです。

お釈迦さまは、人生の苦しみを真正面から見つめ、その原因を探り、そして具体的な方法を示されました。それは決して難しい理屈ではなく、「極端を避ける」という、ごく実際的な教えでした。

私たちもまた、冬の入浴という身近な出来事から、大切なことを学ぶことができます。

寒い脱衣場にヒーターを置く。

それは命を守る智慧。

怒りや不安で冷えた心に、呼吸というぬくもりを灯す。

それは魂を守る智慧。

温度差をなくすことは、平穏を保つこと。

平穏を保つことは、命を大切にすること。

どうぞ今夜、お風呂に入るとき、少しだけ思い出してください。

脱衣場のあたたかさは、目には見えにくいけれど、確かに私たちを守っています。

同じように、日々の小さな修行――手を合わせること、静かに呼吸すること、相手を思いやること――それらは派手ではありませんが、確実に心の温度を整えています。

激しい差ではなく、やわらかな移ろいの中に身を置くこと。

それが仏の道であり、

それが命を守る智慧であり、

それが、しあわせへと続くぬくもりの道なのであります。

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