凛と冷えた本堂で静かに坐る

朝のひととき。雪に包まれた大山は朝日を浴びて黄金色に輝く


万事に心を込めて

「万事に心を込めて」

とても静かで、しかし奥行きの深い言葉です。

万事――すべてのこと。

心を込める――気持ちを集中し、誠を尽くすこと。

この言葉は、特別な修行や難しい教えを求める前に、今ここにある一つ一つを、どう生きるかを私たちに問いかけています。

1.心を込めるとは、頑張ることではない

「心を込めて生きましょう」と聞くと、

・いつも全力で

・手を抜かず

・完璧を目指して

そんなふうに受け取られることがあります。

けれども仏教でいう「心を込める」とは、力を入れすぎることではありません。

むしろ、今していることから心を離さないことです。

お茶を飲むときは、お茶を飲む。

歩くときは、歩く。

人の話を聞くときは、聞く。

それだけのことです。

私たちは、何かをしているようで、実は心が別の場所にあることが多いものです。

食事をしながらスマートフォンを見、

人と話しながら次の予定を考え、

祈りながら雑念に引きずられる。

心が「今」にいない。

これが、苦しみや不安の大きな原因だと、お釈迦さまは見抜いておられました。

2.掃除に心を込めるということ

禅寺では「掃除」がとても大切にされます。

掃除は修行の基本です。

なぜでしょうか。

それは、掃除は嘘がつけないからです。

形だけ整えても、心が乱れていれば、すぐに現れます。

掃く音が荒くなる。

物の扱いが乱暴になる。

終わることばかり考えて、今が疎かになる。

掃除に心を込めるとは、

床をきれいにすること以上に、自分の心の埃に気づくことなのです。

「ああ、今、早く終わらせたいと思っているな」

「誰かに評価されたい気持ちが出てきたな」

そう気づいた瞬間、もうそこに修行があります。

万事に心を込めるとは、自分の心の動きを丁寧に見つめる生き方なのです。

3.うまくいかない時こそ、心を込める

人生は、思い通りにならないことの連続です。

努力しても結果が出ない。

誠実にしても誤解される。

大切にしたつもりでも、失ってしまう。

そんな時、私たちはつい

「こんなことに心を込めても無駄だ」

「もうどうでもいい」

と、心を閉ざしてしまいます。

けれども仏教は、こう教えます。

結果ではなく、向き合い方があなたの人生をつくると。

たとえ失敗に終わったとしても、

たとえ報われなかったとしても、

その一瞬一瞬に心を込めて生きた事実は、決して消えません。

それは、あなた自身の「徳」となり、

静かに、確実に、次の人生を支えていきます。

4.人に心を込めるということ

人間関係ほど、心を込めることが難しいものはありません。

近い人ほど、雑になりやすい。

家族だから、分かってくれるだろう。

長い付き合いだから、言わなくても伝わるだろう。

けれども、心を込めない関係ほど、すれ違いを生みます。

挨拶をする。

名前を呼ぶ。

相手の目を見る。

最後まで話を聞く。

どれも特別なことではありません。

けれど、心が伴わなければ、ただの作業です。

観音さまは「聞く仏さま」と言われます。

相手の声に、苦しみに、沈黙にまで耳を傾ける。

万事に心を込めるとは、

人を「理解する前に、受け取る」姿勢を持つことなのです。

5.祈りに心を込める

お寺で手を合わせるとき、

私たちは何を祈っているのでしょうか。

願いが叶うこと。

病が治ること。

家族が幸せであること。

それも大切です。

しかし仏教の祈りの本質は、心を整えることにあります。

心を込めて手を合わせるとき、

自分の欲や恐れ、執着が静かに見えてきます。

「こうであってほしい」という思いの奥に、

「こうでなければ不安だ」という心がある。

それに気づいたとき、祈りはすでに成就しています。

なぜなら、気づきこそが救いの入り口だからです。

6.老いと別れにも、心を込めて

年を重ねること、

別れを経験すること。

これらは避けられません。

元気だった体が思うように動かなくなる。

当たり前にいた人が、突然いなくなる。

そんな時、「心を込める」ことは簡単ではありません。

悲しみや後悔で、心がいっぱいになるからです。

それでも、仏教は語りかけます。

悲しみから目を背けず、その悲しみにも心を込めなさいと。

泣くこと。

思い出すこと。

感謝すること。

それらすべてが、供養であり、祈りです。

心を込めて別れることができた人は、

心を込めて生きることを、すでに学んでいるのです。

7.万事に心を込めて生きるということ

結局のところ、

万事に心を込めて生きるとは、

・特別な人になることではありません

・完璧な生き方を目指すことでもありません

今の自分を、今のまま引き受けることです。

失敗する自分も。

迷う自分も。

弱い自分も。

それらを排除せず、

一つ一つに「はい」とうなずきながら生きる。

その姿こそが、仏の道なのです。

今日の一杯のお茶に。

今日の一言の挨拶に。

今日の一歩の歩みに。

どうぞ、少しだけ心を込めてみてください。

それだけで、

世界は静かに、しかし確かに変わり始めます。

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