もったいないオバケさん

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もったいないオバケさんと古い家のおはなし(約5000字)

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 わたしの家は、少し古い家でございます。

 柱の木目には長い年月が刻まれ、夕方になれば西日がすっと差し込んでは、まるで家そのものが「今日も一日おつかれさま」と言ってくれているように思える、そんな静かな家です。

 けれども、古い家というのは、長年働き続けた身体のように、あちらこちらに小さな疲れが出てくるものです。

特に水まわりの疲れというのは、ごまかせばごまかすほど「あとからドン」と返ってくるもの。

 この家でも、ここ数年で三度も水漏れを起こしてしまいました。

 その原因のひとつに、ちょっとした“お客さん”が関係していたのです。

 ――そう、「もったいないオバケさん」。

 聞いたことはありますでしょうか。

 日本には昔から、物を粗末にしたり、無駄遣いをしたりすると「もったいないオバケ」がやってくる、そんなお話があります。

 本来は、子どもたちに物を大切にしなさいと伝えるための、優しい戒めのお話です。

 ところがわたしの家に来るもったいないオバケさんは、どうも几帳面すぎるところがあるようなのです。

たとえば、わたしがシャワーを浴びているとき。

 ほんの少し、シャンプーを泡立てている間に水を出したままにしていると、背後にすぅーっと気配がして、

 「……もったいないよ」

 そんな小さな声が聞こえるような気がするのです。

 そして次の瞬間、

 “ガンッ!”

 と、水が急に止まり、まるで水道管が悲鳴を上げたような衝撃音が響きます。

 もう少し優しくてもよいのですけれど、どうやらオバケさんは、“無駄を許さぬ正義感”にあふれているらしく、手加減を知らないのです。

 洗濯機の給水でも同じことが起こりました。

 洗剤を入れて、ふと目を離した瞬間、またもや

 “ガンッ!”

 ピタリ、と水が止まる。

 「はい、節水」

 そんな表情をしている気配が背後から伝わってくるのです。

 ところが――

 この“ガンッ”が、家の水道管にとっては、とんでもない負担だったのです。

 ある日のこと。

 いつものように台所でお湯を沸かしていると、床にぽたり、ぽたりと水の跡が。

 「またか……」

 三度目の水漏れでした。

 業者さんに見てもらうと、古い配管が急に閉じられる衝撃に耐えきれず、弱ってしまっているとのこと。

 まるで、急ブレーキを何度もかけられて悲鳴を上げた車のようでした。

 ほかならぬ家自身が痛んでいることに気づき、

 「これはさすがに何とかしてあげねば……」

 そう思ったわたしは、家を守るための方法を探し始めました。

 調べていくと、「ウォーターハンマー防止装置」というものがあると知りました。

 急に水が止まると水圧が暴れてしまい、水道管がガツンと揺れる

 ――これを“ウォーターハンマー”というそうです。

 そんな“衝撃”を吸収してくれる小さな装置があるとわかると、

 「これは、この家のためにもったいないオバケさんのためにも必要だ」

 そう思い、すぐさま購入して取り付けました。

 装置をつけるその瞬間、わたしは水道管にそっと語りかけたのです。

 「今までよく頑張ってくれたね。これからは少し楽になるよ」

 取り付けたその日から、シャワーの音が変わりました。

 シャンプーを泡立てていると、背後にふと気配がする。

 「……そろそろ止めたほうが……」

 と、もったいないオバケさんが口を開こうとする。

 しかし――

 水が止まっても、

 “ガンッ!”

 は聞こえません。

 代わりに、

 “ふわり”

 と、やわらかな空気のような感触で水が静かに止まるのです。

 オバケさんは驚いたように、キョトンとしていました。

 「え? なんだか静かだね……」

 そう言っているように見えました。

 洗濯機でも同じでした。

 どれだけ突然水を止めても、もう家が怯えることはありません。

 古い水道管が、ようやく肩の力を抜いてくれたように思えました。

 この出来事から、わたしはひとつの「気づき」を得ました。

 “良かれと思ってやっていることも、誰かを傷つけてしまうことがある”

 ということです。

 もったいないオバケさんは、何も悪気があったわけではありません。

 ただ「無駄をなくしたい」「大切に使ってほしい」その思いが強すぎただけなのです。

 けれど、その強さが、家にとっては負担となっていた。

 わたしたちも同じかもしれません。

 正しさを押しつけすぎてしまったり、

 相手の気持ちを思うあまり空回りしてしまったり、

 知らず知らずのうちに、誰かを苦しめてしまうことがあるのです。

 だからこそ――

 ただ正しければ良いのではなく、

 “やさしい正しさ”

 が必要なのだと思いました。

 急に止めるのではなく、

 ふわりと受け止めること。

 衝撃ではなく、柔らかさで伝えること。

 それは、人と人との関わりでも大切なことではないでしょうか。

 その後のわが家は、以前よりもずっと静かで穏やかになりました。

 もったいないオバケさんも、

 「なんだか前より気持ちがいいね」

 と、嬉しそうにしているように感じます。

 水道管もラップ音のような悲鳴をあげなくなり、

 古い家ながらも安心して暮らしていける、そんな穏やかな日々が戻ってきました。

 無駄をなくすことも大切。

 でも、それ以上に大切なのは、

 “誰も傷つけないやさしさを添えること”。

 それを教えてくれたのは、几帳面すぎるけれどどこか愛らしい、あのもったいないオバケさんでした。

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