対話は自転車

対話は自転車に乗るようなもの

人と人とが向き合い、心を通わせようとするとき、私たちは「対話」という言葉を用います。しかし、対話とは何かと問われると、意外にもはっきりと定義できないものです。単なる会話でもなく、議論や討論とも違う。互いの思いや考えが響き合い、言葉を超えて理解が生まれる場を「対話」と呼ぶのでしょう。

ある人が「対話は自転車に乗るようなものだ」と語ったといいます。この言葉は、対話の本質をとてもよく表しています。自転車に初めて乗れるようになったときの感覚を思い出してみましょう。補助輪を外して、恐る恐るペダルを踏み出す。最初はふらふらして転んでしまうかもしれません。しかし、ある瞬間に、体と感覚が自然にバランスを取れるようになり、すーっと前へ進んでいくのです。

この「コツをつかむ瞬間」は、誰かから言葉で説明されただけでは決して得られません。どれほど詳しく「ペダルを踏む力加減」「ハンドルの動かし方」「体重移動のタイミング」を聞いたとしても、実際に自分で体験しなければ自転車には乗れるようにならない。

対話もまた同じです。

「相手の話をよく聞きましょう」「否定せず受け止めましょう」といった説明はできます。しかし、それを理解しただけで本当の対話ができるようになるわけではありません。実際に相手と向き合い、言葉を交わし、沈黙を共にし、ときに衝突し、ときに共感を覚える。その繰り返しの中で、あるときふと「ああ、これが対話というものか」と気づく瞬間が訪れるのです。

1. 言葉で説明できない領域

人間の営みには、言葉で伝えられる部分と、言葉では伝えきれない部分があります。料理のレシピは言葉で表せますが、味の微妙な加減は作り手の経験と感覚に委ねられます。音楽の楽譜は理論的に説明できますが、旋律が心に響くかどうかは演奏者の感性と聴き手の受け取り方によります。

対話も同じで、「手順」を教えることはできても、その深まりや豊かさは体験からしか学べません。むしろ、説明が多すぎると頭でっかちになり、かえって自然な対話から遠ざかることさえあります。

2. 対話の「バランス感覚」

自転車に乗るとき、私たちは前へ進もうとする力と、倒れまいとするバランス感覚を同時に働かせます。対話においても同じように二つの力が必要です。

ひとつは「自分を表現する力」。自分の思いや考えを、正直に、そして誠実に伝える力です。もうひとつは「相手を受け止める力」。相手の言葉の奥にある思いや背景を想像し、耳を傾ける力です。

この二つの力は、どちらか一方に偏れば倒れてしまいます。自分ばかり話して相手を無視すれば、それは対話ではなく独演になります。逆に、相手に迎合してばかりで自分を語らなければ、形だけの会話に終わってしまう。前へ進もうとする推進力と、倒れまいとするバランス。この二つの力を同時に働かせるとき、対話は生き生きと動き始めます。

3. 対話に必要な「転び方」

自転車に乗れるようになるには、何度も転ぶことが必要です。転ぶことなく最初からうまく乗れる人はいません。むしろ転んでみて初めて、自分がどのようにバランスを崩すのかを知るのです。

対話もまた同じ。ときには誤解し、ときには言い過ぎて相手を傷つけることがあります。沈黙が気まずくて空回りすることもあるでしょう。けれども、その失敗の経験こそが学びとなり、「次はもっと丁寧に耳を傾けてみよう」「言葉を選んでみよう」と工夫するきっかけになります。

つまり対話とは、転んでは立ち上がる練習の連続なのです。

4. 「乗れるようになったとき」の感覚

では、対話ができるようになったときとは、どのような感覚でしょうか。自転車で風を切って走るとき、私たちは「乗ろう」と意識しているわけではありません。ただ自然に体が反応し、心地よく前へ進んでいます。

対話も同じです。「うまく話そう」「相手に理解してもらおう」と構えているときには、まだぎこちなさが残っています。けれども、ふと気づくと、相手の言葉に自然にうなずき、自分の思いも素直に語れている。互いの間に安心感が生まれ、時間が経つのを忘れる。そこには「努力して対話している」という意識がなく、ただ「共にいる」ことが心地よいのです。

5. 対話は「道」

このように考えると、対話はゴールではなく「道」であると言えるでしょう。自転車も、一度乗れるようになったからといってそれで終わりではなく、坂道や砂利道、長距離などさまざまな状況に挑戦していきます。同じように、対話も状況や相手によって難しさが変わり、常に学び続ける必要があります。

親しい人との対話、異なる文化や価値観を持つ人との対話、職場での対話、家族との対話。どの場面でも「乗り方」は少しずつ違います。だからこそ、対話の道は果てしなく深いのです。

6. 言葉を超えるつながり

最後に強調したいのは、対話の本質は「言葉のやりとり」を超えているということです。自転車に乗るとき、私たちは頭で考えるよりも体で感じています。対話においても、言葉の意味そのものよりも、相手と共にいる感覚や心の通い合いが大切なのです。

相手の沈黙に寄り添う。表情や声の調子に耳を澄ます。言葉にならない思いを感じ取る。そうした「非言語的なやりとり」が、対話をより豊かにします。

結び

「対話は自転車に乗るようなものだ」という言葉は、私たちに大切な示唆を与えてくれます。

それは、

言葉だけでは学べないことがあること バランス感覚を養う必要があること 失敗や転び方が学びになること そして、自然に心が通じる瞬間が訪れること

この気づきを胸に、私たちは日々の生活の中で少しずつ対話を重ねていくのです。


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