心の窓を開く

私たちは皆、それぞれの心に「窓」を持って生きています。

その窓から、喜びの光が入り、悲しみの影が差し込み、出会いや別れの風が吹き抜けていきます。しかし、長く生きていると、知らず知らずのうちにその窓を閉めてしまうことがあります。

傷ついた経験、裏切られた思い、うまくいかなかった出来事。

そうした記憶は、「もう二度と同じ思いをしたくない」という願いとなり、心の窓に鍵を掛けてしまいます。すると、確かに痛みは入りにくくなりますが、同時に、やさしさも、ぬくもりも、感謝も、入ってこられなくなってしまいます。

仏教では、人の苦しみは「執着」から生まれると説かれます。

「こうでなければならない」「こうあってほしい」「なぜ分かってくれないのか」。それらの思いは、心の窓を内側から固く閉ざしていきます。閉じた窓の中で、私たちは自分の考えだけを反響させ、ますます苦しみを深めてしまうのです。

お釈迦さまは、悟りとは特別な場所に行くことではなく、「ありのままを見ること」だと示されました。

心の窓を開くとは、外の景色を自分の都合のよい形に変えることではありません。曇りの日は曇りとして、雨の日は雨として、そのまま受け取ることです。そこに良い悪いの判断を加えない。その姿勢こそが、心を自由にします。

では、どうすれば心の窓を開くことができるのでしょうか。

まず必要なのは、「自分の心を知る」ことです。怒りがあるなら、怒りがあると知る。悲しみがあるなら、悲しみがあると知る。追い払おうとせず、抱え込もうとせず、ただ気づく。気づいた瞬間、心の窓はわずかに開き始めます。

次に大切なのは、「相手の立場を想像する」ことです。

自分と同じように、相手にも不安があり、恐れがあり、守りたいものがあります。完全な人間など、どこにもいません。そのことに思い至ったとき、頑なだった心は少しずつ緩み、窓の隙間から柔らかな風が入ってきます。

観音菩薩は「音を観る」と書きます。

ただ聞くのではなく、心で聴く。言葉の奥にある苦しみや願いに耳を澄ます。その姿は、心の窓を大きく開き、すべてを受け入れる在り方そのものです。私たちもまた、日常の中で小さな観音となることができます。

心の窓が開くと、人生は驚くほど変わります。

問題が消えるわけではありません。しかし、問題と自分との距離が変わります。苦しみに巻き込まれるのではなく、苦しみを見つめることができるようになります。その静かな余白が、私たちを支えてくれるのです。

もちろん、いつも窓を開いていられるわけではありません。

閉めたくなる日もあります。どうしても心が冷え切ってしまう日もあります。それでよいのです。大切なのは、「また開ければいい」と知っていること。心の窓は、閉じてもやり直しがききます。

どうか今日、ほんの少しだけ、心の窓を開いてみてください。

朝の光に気づくこと。誰かの一言に耳を傾けること。自分自身に「よく頑張っている」と声を掛けること。それだけで十分です。

心の窓を開くとき、私たちは孤独ではありません。

仏の教えは、いつも静かに、そこから差し込んでいます。


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