足るをしる

「足るを知る」――心が静かになる禅のことば

「足るを知る(たるをしる)」

とても短い言葉ですが、私たちの人生を静かに、そして確かに支えてくれる禅語です。

お寺の掲示板や、湯飲み、掛け軸などで目にしたことのある方も多いでしょう。

しかし、いざ「どういう意味ですか?」と聞かれると、

「欲張らないこと」「我慢すること」「慎ましく生きること」

そんなふうに、少し堅苦しく、どこか窮屈な印象を持たれる方も少なくありません。

今日はこの「足るを知る」という言葉を、

がんばりすぎている人の心を、そっとゆるめる言葉としてお話ししたいと思います。

「足りない」「もっと欲しい」から始まる苦しみ

私たちは毎日のように、こう思っています。

「まだ足りない」

「もっとあれば安心できるのに」

「周りは持っているのに、自分だけ足りない」

お金、時間、健康、評価、人とのつながり。

どれも大切なものです。しかし、どれほど手に入れても、

「もう十分だ」

と心から言える瞬間は、意外と少ないものです。

仏教では、この「もっと、もっと」という心を**欲(よく)**と呼びます。

欲そのものが悪いのではありません。

けれど、欲に振り回されると、心はいつも不足感に支配されてしまいます。

足りないと思えば不安になり、

比べれば苦しくなり、

失うことを恐れて、心が休まらなくなる。

ここに、苦しみの種があるのです。

「足るを知る」とは、あきらめることではありません

「足るを知る」と聞くと、

「欲を捨てなさい」

「現状に甘んじなさい」

「向上心を持つな」

そう言われているように感じる方もいるかもしれません。

でも、それは少し違います。

「足るを知る」とは、

今すでに、ここにあるものに気づく力のことです。

たとえば――

・今日も目が覚めたこと

・ごはんを食べられたこと

・誰かと挨拶を交わせたこと

・悩みながらも、ここまで生きてきたこと

私たちは、失ったものや、持っていないものにはすぐ気づきます。

でも、すでに持っているものには、驚くほど気づいていません。

「足るを知る」とは、

「もう何もいらない」と言うことではなく、

「すでに、こんなにも与えられていたのか」と知ることなのです。

コップの水のお話

こんなお話があります。

ある人が、半分ほど水の入ったコップを見て言いました。

「もう半分しかない」

別の人は、同じコップを見て言いました。

「まだ半分もある」

水の量は、まったく同じです。

違うのは、心の向きだけ。

「足るを知る」とは、

コップの中の「ない半分」ではなく、

「ある半分」に目を向ける生き方とも言えるでしょう。

比べる心が、足るを見えなくする

現代は、比べる材料にあふれています。

SNSを開けば、

幸せそうな写真、成功談、楽しそうな日常が並びます。

すると、知らず知らずのうちに、こう思ってしまいます。

「それに比べて自分は……」

しかし、お釈迦さまはこう説かれました。

人は人、自分は自分。

比べる心から、苦しみは生まれる。

他人の人生を基準にすると、

どんな人生でも「足りない」ものだらけに見えてしまいます。

「足るを知る」とは、

他人の物差しをそっと置いて、自分の人生に戻ることなのです。

老子の言葉に学ぶ

「足るを知る」は、もともと中国の思想家・老子の言葉でもあります。

足るを知る者は富む

これは、「たくさん持っている人が豊か」なのではなく、

足りていると知っている人が、豊かなのだという意味です。

どれほど財産があっても、

「まだ足りない」と思い続ける心は、貧しいままです。

逆に、

多くを持たなくても、

「これで十分だなあ」と感じられる心は、すでに満たされています。

豊かさとは、外ではなく、心の中にある。

禅は、そう静かに教えてくれます。

「足るを知る」と、努力は両立する

誤解してほしくないのは、

「足るを知る」は、何もしない生き方ではないということです。

努力してもいい。

成長を願ってもいい。

夢を持ってもいい。

ただし、その土台に、

「今の自分は、ダメだ」

「まだ価値がない」

という否定を置かないこと。

「足るを知る」とは、

今の自分を認めたうえで、一歩進む生き方です。

自分を責めながら進むより、

自分をねぎらいながら進むほうが、

人生はずっと穏やかで、長続きします。

今日からできる「足るを知る」一歩

最後に、とても簡単な実践を一つ。

一日の終わりに、こう問いかけてみてください。

「今日、すでに足りていたことは何だろう」

・無事に一日が終わった

・誰かと笑えた

・悩みながらも投げ出さなかった

どんな小さなことでも構いません。

足りないものを数える癖を、

足りているものを味わう習慣へ。

それだけで、心の景色は少しずつ変わっていきます。

結びに

「足るを知る」

それは、欲を押さえつける言葉ではありません。

がんばりすぎた心に、

「もう、そんなに力まなくていいよ」

と微笑みかけてくれる言葉です。

今ここにある命、

今ここにある暮らし、

今ここにある、あなた自身。

それらに気づいたとき、

私たちはすでに、

仏さまの教えの中に、静かに抱かれているのかもしれません。

どうぞ今日も、

「足りない一日」ではなく、

「すでに足りていた一日」として、

手を合わせていただけたらと思います

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