日ごろの仕事を休み、または家事をはなれて、
鎌倉や、京都に行く方もいるでしょう。
毎日の忙しさから離れて、気のあった仲間と、または一人で、
寺を巡り温泉でゆっくりすると、こころがやわらかくなるものです。
観音さんは、
わたしたちの苦しみ悩みや罪業をかぎりなく救いとってくれる菩薩であるとされます。
ここで言います「観自在菩薩」は、観音さんと同じことです。
「観世音菩薩」ともいいます。
「観自在」には、世の中の多くの人々から観られつつ、
多くの人々を観て救うはたらきが自由自在であるという意味がこめられています。
「観自在菩薩」とは、玄奘三蔵法師による翻訳(ほんやく)です。
それ以前には、「観世音菩薩と訳されていました。
「観世音」とは、この世の人々の苦しみ悩み音声を観察して、
かれらの苦悩を救いとるという意味があります。
「観音」は「観世音」を短くいったものです。
日本では、どちらかというと、「観自在」より「観世音」または「観音」のほうが、
一般には普及しています。
般若心経のはじめの言葉としてでてきます。