今を正しく生きる力(智慧)

智慧とは、今を正しく生きる力

皆さまは、日々の暮らしの中で、心が休まらないと感じることはないでしょうか。朝、目を覚ますとすぐに仕事のこと、家族のこと、これからの予定、昨日の失敗や明日への不安が胸に浮かんでまいります。人の心は、絶えず考え、比べ、求めるものです。その働きは大切ですが、思いがあまりに強くなれば、私たちは自分の考えに縛られ、心を疲れさせてしまいます。

仏教でいう「智慧」とは、知識をたくさん持つことだけではありません。物事をありのままに見て、自分も他人も苦しめないように歩む力です。何が本当に大切なのかを見失わず、迷いの中にも静かな道を見いだす心の働きです。

私たちはつい、「もっと良いものを手に入れれば満たされる」「人より優れていれば安心できる」と考えがちです。しかし、欲しいものを一つ得れば、また次の欲が生まれます。人と比べれば、上には上がいるように思えます。こうして心の器を外側のもので満たそうとすると、器はいつまでも満ちることがありません。

けれども、空いた器には、新しい水を注ぐことができます。心に少しの余白があれば、相手の言葉を受け取ることができ、季節の移ろいにも気づくことができます。そして、苦しみの中にいる人の痛みにも寄り添うことができます。何も予定のない時間、何もしない静かなひとときを、無駄だと思わず大切にすること。それもまた、智慧を育てる修行であります。

では、その智慧をどのように日常に生かせばよいのでしょうか。難しいことではありません。まずは、今していることを一つだけ丁寧に行うことです。

お茶を飲むなら、湯気を見て、香りを感じ、一口をゆっくり味わう。歩くなら、次の一歩に心を置く。食事をするなら、いただく命に感謝し、よく噛んでいただく。人の話を聞くなら、返事を急がず、相手の言葉を最後まで受け止める。このように、心を今ここへ戻すと、余計な思いは少しずつ静まってまいります。

智慧とは、何も考えないことではありません。考えに振り回されず、必要なときに必要な判断をすることです。腹が立ったとき、すぐに言葉を返さず、一度息を整える。不安になったとき、まだ起きていないことばかりを恐れず、今日できる小さなことを行う。思いどおりにならない出来事に出会ったときも、ただ嘆くのではなく、その現実を受け止めた上で、自分にできる一歩を探す。その姿に智慧は現れます。

水は、岩にぶつかれば形を変えて流れます。決して岩と争いません。しかし、流れることをやめるわけでもありません。私たちもまた、人生の変化や苦しみに対して、水のような心を持ちたいものです。状況を受け入れることは、あきらめることではありません。現実を正しく見つめ、その中で自分らしく進むための、しなやかな強さです。

迷いのない人生はありません。苦しみのない人生もありません。しかし、迷いに飲み込まれず、苦しみを通して他者への慈しみを深めることはできます。そのために必要なのが智慧です。

どうか今日、一日のうちほんの数分でもよろしいので、静かに呼吸を味わってみてください。息を吸い、息を吐く。ただそれだけで構いません。心に浮かぶ思いを追い払おうとせず、「今、不安になっているな」「今、焦っているな」と静かに眺めてみるのです。そうすると、思いは自分そのものではなく、ただ心を通り過ぎる雲のようなものだと気づかされます。

智慧とは、遠いところにある特別な力ではありません。今、この瞬間を丁寧に生きるところに、すでに芽生えております。一歩を大切にし、一言を大切にし、一日を大切にする。その積み重ねの中に、心を軽くし、人生を豊かにする智慧の道が開かれていくのであります。

タイトルとURLをコピーしました