本日は、曹洞宗に伝わる教えを通して、私たちが毎日の暮らしをどのように生きていけばよいのか、ご一緒に考えてまいりたいと思います。
曹洞宗は、仏教をお開きになったお釈迦様の教えを受け継ぐ宗派です。そして日本においては、道元禅師と瑩山禅師というお二人の祖師によって、その教えが大切に伝えられてきました。道元禅師が開かれた永平寺、瑩山禅師が育てられた總持寺は、曹洞宗の二つの大本山として、今も多くの人々の心のよりどころとなっています。
お釈迦様は、およそ二千五百年前、ネパールのルンビニーに王子としてお生まれになりました。何不自由ない生活を送ることもできたはずです。しかし、お釈迦様は、老いること、病むこと、死ぬことという、誰も避けることのできない人生の苦しみに深く心を悩まされました。そして二十九歳で出家され、真実の道を求めて修行に入られたのです。
六年にわたる厳しい修行の後、お釈迦様は菩提樹の下で坐禅を組まれ、悟りを開かれました。その後は八十歳で入滅されるまで、多くの人々に仏法を説き、弟子を育て、苦しみから離れる道を示し続けられました。お釈迦様の教えは、特別な人だけのものではありません。迷い、悩み、喜び、悲しみながら生きる、私たち一人ひとりのための教えです。
道元禅師は、およそ八百年前、京都にお生まれになりました。十四歳で出家し、比叡山で修行を始められましたが、真実の仏道を求める思いはますます深くなりました。二十四歳の時には中国へ渡り、如浄禅師のもとで修行を重ねます。そこで道元禅師は、仏道の中心に坐禅があることを、身をもって学ばれました。
坐禅とは、何か特別な境地を得るためだけに行うものではありません。姿勢を整え、呼吸を整え、今この時に静かに坐ることです。私たちは普段、終わったことを後悔したり、まだ起きていないことを心配したりして、心を忙しくさせています。しかし坐禅の中では、まずそのように揺れ動く自分の心に気づきます。そして、追い払おうとも、無理に良く見せようともせず、ありのままの自分を受け止めていくのです。
道元禅師は帰国後、多くの人に仏法を伝え、越前の地に後の永平寺となる大佛寺を開かれました。修行は、坐禅をしている時間だけのことではありません。食事を作ること、掃除をすること、衣をたたむこと、人に言葉をかけること。その一つひとつを、心を込めて行うことが修行であると教えられました。
瑩山禅師もまた、道元禅師の教えを受け継ぎ、広く人々に伝えられた方です。幼い頃から永平寺で修行を始め、のちに各地で教えを広められました。そして總持寺を中心に、多くの弟子を育てるとともに、僧侶だけでなく、日々を懸命に生きる人々にも仏法を届けられました。瑩山禅師が築かれた礎があったからこそ、曹洞宗の教えは全国へと広がっていったのです。
私たちの暮らしには、思いどおりにならないことが数多くあります。人との関係に悩むこともあれば、仕事や健康、将来への不安に心が沈むこともあります。そのような時、すぐに答えを出そうとすると、かえって苦しみが深くなることがあります。まずは一度立ち止まり、呼吸を整え、自分の心を静かに見つめてみましょう。
朝、顔を洗う時に水の冷たさを感じる。食事の前に、命をいただくことへの感謝を思う。目の前の人の話を、急いで結論を出さずに最後まで聴く。履物をそろえる。使った場所をきれいにする。このような小さな行いの中に、仏の教えを生きる道があります。
自分を大切にすることと、他者を大切にすることは、別々ではありません。自分の心が整えば、相手の苦しみにも気づきやすくなります。相手を思いやる心が育てば、自分もまた多くの支えの中で生かされていることに気づきます。互いに支え合い、ともに生きる喜びを見いだしていくこと。それが曹洞宗の目指す生き方であります。
今日一日、完璧に生きようとしなくてもよいのです。ただ、一つの行いを少し丁寧にしてみる。一人の人に、少しやさしい言葉をかけてみる。その積み重ねが、私たちの身と心を整え、内にある仏の姿を明らかにしてくれることでしょう。
合掌
