「臨機応変」という言葉があります。
その場その時の状況をよく見て、最もふさわしい対応をすることです。しかし、この言葉は単に要領よく立ち回ることではありません。目の前の現実をありのままに受け止め、自分の考えや思い込みに執着せず、最善を尽くす姿勢のことでもあります。
先日、そのことを改めて教えられる出来事がありました。
法事へ向かうため、車を運転していました。走り始めは何の異常もありませんでしたが、しばらくすると車体に小さな振動を感じるようになりました。
「路面が悪いのだろうか。」
最初はそう思っていました。しかし、走るにつれて振動は少しずつ大きくなっていきます。
ブレーキを踏んでも異常はありません。ハンドルも大きく取られることはありません。タイヤのナットが緩んでいるような感覚もありません。
「まだ走れるだろう。」
そんな気持ちもありましたが、時速五十キロほどでも振動がかなり大きくなり、「これは何かおかしい」と感じました。
そこで無理をせず、路肩に車を停めてタイヤを点検しました。
空気圧は極端に下がっているわけでもありません。釘などが刺さっている様子もありません。
原因は分かりませんでしたが、「これ以上無理をするべきではない」と判断し、法事先へ向かうことをあきらめ、ゆっくりと寺へ戻り、軽トラで法事に向かいました。
法事も終わり、お寺に戻って四本のタイヤを一本一本確認してみると、右後ろのタイヤが明らかに変形していました。
タイヤを取り外し、分かりやすいように上に一本の木材を置いて写真を撮ると、本来なら水平になるはずの木材が大きく傾いて撮影されました。
外から見ただけでは分からなかった異常が、取り外して初めてはっきり見えたのです。
幸い冬タイヤがありますので、それを装着し、新しいタイヤが届くまで慎重に走ることにしました。
この出来事は、私に「臨機応変」の大切さを教えてくれました。
もし「法事に遅れてはいけない」「まだ走れるだろう」という思いだけで走り続けていたら、タイヤが破裂し、大きな事故につながっていたかもしれません。
予定を優先するのではなく、現実を優先する。
これこそが臨機応変なのだと思います。
私たちは日常生活でも、自分の思い込みに縛られることがあります。
「これくらい大丈夫。」
「今まで問題なかった。」
「あと少しだから。」
そう考えて無理を重ねてしまうことがあります。
しかし、仏教では物事は常に変化していると説きます。
これを「諸行無常」と申します。
昨日まで大丈夫だったことが、今日も大丈夫とは限りません。
丈夫だったタイヤも、年月を重ねれば内部で劣化が進みます。
人の体も同じです。
健康だった人が突然病気になることもあります。
人間関係も、社会の状況も、天候も、すべてが変化しています。
だからこそ、その変化を見逃さず、その時々に応じた行動を取ることが大切なのです。
道元禅師は「只管打坐(しかんたざ)」を説かれました。
ただ坐るということは、何も考えないことではありません。
今、この瞬間をありのままに見ることです。
過去の経験や未来への不安ではなく、「今、何が起きているのか」を丁寧に見つめることです。
今回も、「何となく変だ」という小さな違和感を見過ごさず、一度立ち止まったことで大きな事故を避けることができました。
人生にも同じことが言えるのではないでしょうか。
忙しい毎日を送っていると、自分自身の心や体からの小さなサインを見逃してしまいます。
疲れているのに無理をする。
心が苦しいのに「まだ頑張れる」と言い聞かせる。
家族や友人との関係に違和感があっても、「そのうち何とかなる」と後回しにしてしまう。
しかし、小さな異変を大切にすることが、大きな問題を防ぐことにつながります。
仏さまは、「立ち止まること」も修行の一つであると教えてくださっています。
前へ進むことだけが良いことではありません。
時には止まり、確かめ、必要なら予定を変更する勇気も大切です。
それは決して弱さではなく、智慧なのです。
臨機応変とは、自分の都合に合わせることではありません。
その場の真実に合わせて、自分の心を柔らかくすることです。
竹は強風が吹けばしなやかに曲がります。
だから折れません。
反対に、硬い木は強風で折れてしまうことがあります。
人もまた同じです。
頑固に「こうあるべきだ」と固執するよりも、「今はこうするのが最善だ」と柔軟に受け入れる心が、人生を支えてくれます。
タイヤ一本の異常から、私は改めて多くのことを学びました。
仏さまは特別な場所だけにおられるのではありません。
車の振動にも、一本のタイヤにも、日々の暮らしの出来事にも、私たちへ大切な教えを届けてくださっています。
どうか皆様も、毎日の生活の中で小さな違和感を見逃さず、一度立ち止まり、現実をよく見つめてください。
そして、その時その場に応じて最善を尽くす「臨機応変」の心を育ててまいりましょう。
それこそが、安全な人生を歩み、周りの人々をも守る智慧であり、仏道を歩む大切な実践なのではないでしょうか。

