先日、お師匠さんのお寺のお掃除をお手伝いしようと、井戸水を軽トラックに三百リットル積み込み、高圧洗浄機を載せて出かけました。

「今日はしっかりお掃除をしよう。」
そう思って洗浄機のスイッチを入れましたが、まったく動きません。
せっかく水も積み込み、準備万端で来たのに動かない。誰しもそのような経験があるでしょう。
一度寺へ戻り、コンプレッサーオイルを交換しました。しかし、それでも動きません。

そこで、思い切って分解することにしました。
テスターで電気回路を一つ一つ調べ、圧力センサーを分解して清掃し、さらに故障した初号機から使える部品を取り外して移植しました。

時間はかかりましたが、ようやく機械は息を吹き返しました。
見た目にはほとんど分かりません。しかし、その小さな修理のおかげで、11時から12時半まで、休むことなく動き続け、持参した三百リットルの井戸水を使い切ることができました。
実は、この洗浄機には思い出があります。
初号機は「連続使用可能」と言われるポンプを採用していました。その言葉を信じ、つい無理をさせ続けました。

本来は休ませながら使うべきなのに、「まだ大丈夫だろう」と酷使し続けたのです。
その上、オイル交換も怠っていました。
結果として、ポンプ本体が壊れてしまいました。
修理費は高額になると分かり、同じ型の二号機を購入しました。
時代は変わり、メーカー名は変わっていましたが、あえて旧社名の製品を探し、購入しました。
その時、もう同じ失敗は繰り返すまいと、オイルも一緒に購入しました。

失敗を忘れないためです。
そして今回、その二号機も故障しましたが、今度は初号機の部品が役に立ちました。
かつて壊れた機械が、今度は別の機械を生かしたのです。
この出来事を通して、私は仏教の教えを改めて感じました。
私たちは失敗すると、その失敗を「無駄だった」と思ってしまいます。
しかし、本当にそうでしょうか。
初号機が壊れたことは確かに残念でした。
しかし、その経験があったからこそ、オイル交換の大切さを知りました。
部品も残してありました。
そして、その部品が今回、二号機を救ったのです。
失敗がそのまま智慧へと変わっていました。
禅には「失敗も修行」という考えがあります。
道元禅師は、修行とは坐禅だけではないと説かれました。
食事を作ることも、掃除をすることも、道具を手入れすることも、すべて仏道であると教えられています。
だから、機械を修理することも修行なのです。
壊れたから腹を立てる。
動かないから諦める。
そうではなく、「なぜ動かないのか」と静かに原因を探していく。
一つ一つ確かめる。
急がない。
決めつけない。
この姿勢は、そのまま坐禅の心でもあります。
私たちの心も、高圧洗浄機と似ています。
「最近、何となく元気が出ない。」
「人に優しくできない。」
「腹が立って仕方がない。」
そんな時、私たちは外側ばかりを変えようとします。
環境のせい。
人のせい。
社会のせい。
しかし、本当に点検すべきなのは、自分自身かもしれません。
オイルは足りているだろうか。
疲れをため込み過ぎていないだろうか。
無理を続けていないだろうか。
感謝を忘れていないだろうか。
心にも定期的な手入れが必要です。
坐禅とは、まさに心の点検です。
仏前で手を合わせることも、心のオイル交換と言えるかもしれません。
さらに今回感じたのは、「古いものを生かす」ということです。
壊れた初号機は役目を終えたように見えました。
しかし、本当に終わってはいませんでした。
必要な部品は、新しい機械を助けました。
仏教では「縁起」といいます。
一つとして無駄なものはありません。
人との出会いもそうです。
苦しかった経験もそうです。
失敗もそうです。
今は役に立たないと思っていても、いつか別の形で誰かを支え、自分を支える力になります。
だから、失敗を捨ててはいけません。
失敗は智慧になります。
苦労は慈悲になります。
遠回りは経験になります。
そして、その積み重ねが人生を深くしていきます。
今回のお掃除では、三百リットルの井戸水をすべて使い切りました。
その水は、長い年月をかけて地下に蓄えられた水です。
地上からは見えません。
しかし、見えないところで静かに蓄えられていたからこそ、多くの汚れを洗い流すことができました。
私たちの修行も同じです。
毎日の読経。
毎日の掃除。
毎日の挨拶。
毎日の坐禅。
一つ一つは小さなことです。
しかし、それらは見えない地下水のように、少しずつ心に蓄えられていきます。
いざという時、その蓄えが人を助け、自分を支える力となるのです。
道元禅師は「行持道環(ぎょうじどうかん)」という言葉を残されました。
修行は特別な時だけするものではありません。
今日の掃除も修行。
今日の修理も修行。
今日の失敗も修行。
そして、今日の反省も修行です。
高圧洗浄機を直したのは、機械だけではありませんでした。
「道具を大切にする心」「失敗から学ぶ心」「諦めずに原因を探す心」――そうした自分自身の心もまた、少し修理されていたように思います。
私たちも日々の暮らしの中で、時には立ち止まり、自分の心を点検し、手入れをしながら歩んでまいりたいものです。
それこそが、仏さまの教えを日常の中で生きるということなのではないでしょうか。


