笑いを分かち合う力 ― フランクルの視点から
ヴィクトール・フランクルは、ナチスの強制収容所という極限の体験をくぐり抜けた心理学者であり、彼の言葉は「生きる力の源」を見つめ直させてくれるものとして今も輝きを放っています。そんな彼が「毎日1つずつ思わず笑い出したくなるような話を思い出したり考え出したりして、お互いに披露しあおう」と語ったことには、単なるユーモアを超えた深い意味が込められています。

笑いは一瞬の快楽にとどまらず、人生の苦しみや困難を乗り越える支えとなる。さらに、笑いを「思い出し」「考え出し」「披露する」という行為には、人間の心を整える3つの働きが隠されています。ここではその意味を掘り下げながら、日常でどう活かせるかを考えてみましょう。
1. 「思い出す」ことの力 ― 記憶から救いを引き出す
人間は過去を背負って生きています。辛い記憶もあれば、温かい思い出もあります。その中で「笑い出したくなるようなエピソード」を探すことは、自分の記憶の中から「心を支える宝物」をすくいあげる作業です。
例えば、子どもが言った無邪気なひとこと。旅行先でのちょっとしたハプニング。職場で起きた予想外の笑える出来事。こうした記憶は普段忘れられがちですが、思い出すことで「自分はこんなにも楽しい瞬間を生きてきた」という感覚がよみがえります。
フランクルが収容所の生活で何より大切にしたのは「今ここに意味を見いだす」ことでした。しかし彼は同時に、過去の温かい思い出を心に呼び戻すことで、どんな環境でも人間らしさを失わないことを実践しました。笑いの記憶を思い出すことは、人間が「過去の中に生きる力を再発見する」営みなのです。
2. 「考え出す」ことの力 ― ユーモアは創造行為
次にフランクルは「考え出す」と言います。つまり、ただ受け身で思い出すだけではなく、意識的に「笑える話を創る」ということです。
心理学的に言えば、これは「認知の再構成」と呼ばれる働きに近いでしょう。辛い状況も、角度を変えて見れば笑い話になる。例えば、電車で転んで恥ずかしかった体験も「ちょっとした芸人のネタ」として語れば楽しい出来事に変わります。失敗談は、語り方次第でユーモアになります。
つまり「考え出す」とは、人生の中で起きたことに意味を与える知恵であり、「物語化する力」です。フランクルが提唱したロゴセラピーも、人間が困難を物語として意味づけることで生きる勇気を取り戻す心理療法でした。笑いの物語を創造することは、自己治癒力を高める大切な方法なのです。
3. 「披露する」ことの力 ― 笑いは共有して初めて広がる
笑いは、1人で体験するよりも、誰かと分かち合うことで何倍にも広がります。自分だけで思い出し、自分だけで考え出した話も、誰かに伝えることで「共感」という喜びを生み出します。
たとえば家族との夕食の場。「今日こんなことがあってね」と笑える話を披露する。友人との集まりで「ちょっと聞いてよ」と笑い話を持ち寄る。すると場が和み、関係が深まり、「一緒に笑った」という体験が絆を強めます。
フランクルが「お互いに披露しあおう」と言ったのは、人は孤立しては生きられず、笑いという最も人間らしい交流を通じて連帯感を育てることができる、という真理を示しているのです。
4. 笑いとレジリエンス ― 逆境を越える力
心理学的に、笑いには「ストレスを和らげる」「免疫力を高める」「気分をリセットする」といった効果があることが知られています。
フランクルが生きた極限状況では、未来を約束された楽しみも娯楽もなかった。その中で、人々が一瞬でも声を出して笑うことができれば、それは「人間らしさを奪わせない」という抵抗の証でした。笑いはレジリエンス(心の回復力)そのものであり、人生の苦難に屈しない精神の象徴だったのです。
5. 日常生活への応用 ― 「笑い日記」のすすめ
私たちの生活は、忙しさや不安で心が固くなりがちです。そんな中でフランクルの言葉を実践するために、具体的な習慣を提案します。
毎晩寝る前に、今日笑えたことを1つ書き出す → どんなに小さなことでもよい。猫のしぐさ、テレビの一場面、同僚の冗談。 もし見つからなければ、自分で「笑い話」を創る → 空想でもかまいません。「もし自分が○○したら…」という妄想からでも笑いは生まれます。 週に1回は家族や友人とシェアする → 笑いの披露は場を明るくし、人間関係を強めます。
この「笑い日記」は、自分の心を守るだけでなく、周囲に温かい空気を広げる小さな習慣となるでしょう。
6. 笑いは生きる意味の一部
フランクルは「生きる意味を見失った人間は、生きられない」と説きました。意味は大きな理念や壮大な目的だけでなく、日常の小さな喜びにも宿ります。その代表が「笑い」なのです。
毎日1つの笑いを見つけること。それは人生に「今日を生きてよかった」という彩りを与えます。笑いを披露しあうことは、人間が人間であるための営みです。
結びに ― 笑いがあるから人は人である
フランクルの言葉は、笑いを「贅沢な娯楽」ではなく「生き抜くための必需品」として位置づけています。
思い出すことで、過去から支えを得る。 考え出すことで、今の出来事に意味を与える。 披露することで、未来に向けた絆を深める。
この3つを日常に取り入れるだけで、私たちはどんな環境でも人間らしさを保つことができます。
だからこそ「毎日1つずつ笑える話を思い出したり考え出したりして、披露しあおう」という言葉は、人生を明るく照らす灯火なのです。

