おもしろがる

「おもしろがる」という生き方

樹木希林さんは、生前数々の名言を残しました。その中でも「おもしろがる」という言葉は、彼女の生き方を象徴するように私たちの心に残ります。一般的に「面白い」とは、楽しいことや愉快なことを指す場合が多いですが、希林さんが語った「おもしろがる」は、単に楽しいことを見つける態度ではありません。むしろ、苦しいこと、思い通りにならないこと、年を重ねて身体が不自由になること、さらには死という避けられない出来事にすら、「おもしろがる」という視点を向ける生き方でした。

では、この「おもしろがる」とはどのような心のあり方なのでしょうか。そして、それはなぜ私たちの人生に必要なのでしょうか。

1. 「おもしろがる」とは心の姿勢

「おもしろがる」とは、外の出来事に単純に反応することではなく、自分自身の心の向け方を変えることです。

たとえば、病気になったとき、普通なら「なぜ自分だけがこんな目に遭うのか」と嘆き、落ち込み、未来を悲観するものです。けれども希林さんは、がんで全身が蝕まれてもなお、「これもまた面白い」と受けとめていました。そこには「苦しみを否定するのではなく、それをどう味わうか」という逆転の発想があります。

つまり、「おもしろがる」とは状況に振り回されるのではなく、どんな状況でも自分の心が主体的に関わるということ。悲しみや苦しみをただ避けるのではなく、「こういう経験は自分に何を見せてくれるのか」と問いかけながら向き合うことなのです。

2. 仏教に通じる「おもしろがる」の智慧

仏教には「諸行無常」という言葉があります。すべては移ろい、常に変化していくという真理です。若さも健康も、地位も財産も、必ず変わりゆき、やがて失われていきます。普通であれば、その無常を悲しみとして受け止めることが多いでしょう。

しかし、仏教はその無常を「味わい尽くせ」とも教えます。変化するからこそ、美しい。移ろうからこそ、今この瞬間が尊い。希林さんの「おもしろがる」という言葉には、この仏教的な無常観がそのまま息づいています。

花が散ることを悲しむのではなく、散っていくその姿を「おもしろがる」。老いゆく自分を嫌うのではなく、老いていく過程を「おもしろがる」。死を恐れるのではなく、死というものが自分にどんな気づきを与えるのかを「おもしろがる」。そこには、すべての現象をそのまま肯定して生きる智慧があるのです。

3. 苦しみを「おもしろがる」

人生において、楽しいことや喜びだけが訪れるわけではありません。むしろ、思い通りにならないこと、予期せぬ出来事、そして深い苦しみの方が多いでしょう。

しかし、「おもしろがる」という姿勢を持つと、その苦しみの意味が変わります。

たとえば、仕事で失敗したとき。通常は落ち込むか、言い訳を探すか、誰かを責めたくなります。けれどもそこで、「なるほど、自分はこんなふうに転ぶんだな」と、自分自身を観察するように受け止めると、それが「おもしろがる」ことにつながります。失敗そのものは変わらないけれど、その出来事から得るものは豊かになっていくのです。

病や老いも同じです。身体が思うように動かなくなるのは辛いことですが、「ああ、人間とはこうやって弱っていくものなんだ」と観察し、学び、笑うことができれば、そこに「おもしろさ」が生まれます。

つまり、「おもしろがる」とは苦しみを否定しない態度です。むしろ苦しみを味わい、そこに人生の深みを見いだす姿勢なのです。

4. 人間関係を「おもしろがる」

人との関わりもまた、思い通りにならないことの連続です。家族でも、友人でも、職場でも、価値観の違い、意見の衝突、すれ違いは避けられません。

希林さんは「人間関係も面白がらなきゃね」と語っていました。つまり、相手に苛立つのではなく、「この人はこんなふうに考えるのか」「自分とは違う世界を持っているんだな」と、その違いを面白がるのです。

相手を変えようとするのではなく、違いを観察する。その余裕があると、人間関係は驚くほど楽になります。怒りや不満も少なくなり、むしろ人間模様そのものがドラマのように感じられるのです。 

5. 死を「おもしろがる」

樹木希林さんが最期まで語っていたのは、死を恐れるのではなく、「死んだらどうなるのか、楽しみにしている」ということでした。これは多くの人に衝撃を与えました。

死は誰にとっても最大の恐怖であり、避けられない現実です。けれども彼女はそれを「怖いもの」としてではなく、「未知のもの」として受け止めていたのです。未知であるからこそ、面白い。わからないからこそ、楽しみにできる。

これはまさに「おもしろがる」の究極の姿勢です。死ですら「おもしろがる」ことができれば、もはや人生に恐れるものはなくなります。

6. 「おもしろがる」は日々の修行

「おもしろがる」とは、一度の気づきで身につくものではありません。日常の中で少しずつ心の向け方を練習していくことが大切です。

・雨の日に「今日は出かけられない」と不満を言うのではなく、「雨が降ると街の色が変わるな」と面白がる。

・渋滞にはまったときに「時間を損した」と怒るのではなく、「さて、車の中で何を考えようか」と面白がる。

・老眼で字が読みにくくなったときに「不便だ」と嘆くのではなく、「人はこうして世界の見え方が変わるのか」と面白がる。

こうした小さな実践の積み重ねが、「おもしろがる」という心を育てていきます。

7. 「おもしろがる」がもたらす心の自由

「おもしろがる」という生き方を身につけると、心は不思議なほど軽くなります。なぜなら、出来事に一喜一憂しなくなるからです。

嬉しいことも苦しいことも、成功も失敗も、健康も病も、すべては「おもしろい」と味わえる対象になります。そうすると、人生の出来事は敵ではなくなり、むしろ友として寄り添ってくれるように感じられます。

「おもしろがる」とは、人生に降りかかるあらゆる現象を歓迎する姿勢です。その心があれば、何が起きても恐れず、逃げず、むしろ楽しみに変えていける。これほど自由で豊かな生き方はありません。

結びに

樹木希林さんの「おもしろがる」という言葉は、単なる楽観主義ではなく、人生を深く受け止める知恵です。苦しみも悲しみも老いも死も、そのすべてを「おもしろがる」と言える人は、真に人生を生ききった人でしょう。

私たちもまた、日々の小さな不満や困難を「おもしろがる」ことから始めてみたいものです。それは修行のように地道なことかもしれませんが、少しずつ心が変わっていきます。そしていつの日か、人生のすべてを「おもしろがる」と言える境地に近づいていけるのではないでしょうか。

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