しんがりを生きるということ
「しんがり」という言葉には、深い響きがあります。

戦国時代の軍事用語として知られるこの言葉は、軍が退却するときに最後尾に立ち、敵の追撃を防ぎ、味方の撤退を守る役割を指します。先陣を切る勇敢さも立派ですが、最後尾を守る「しんがり」は、また違う意味での勇気と覚悟が求められる大切な役割でした。
しかし、「しんがり」という言葉は、ただ戦場に限られるものではありません。私たちの日常、社会の営み、そして人としての生き方そのものを映し出す深い象徴でもあるのです。
1. しんがりの本来の意味
まず、歴史的に「しんがり」がどのような役割を担ったのかを振り返ってみましょう。
戦のとき、軍が勝っているときには前進し、旗を掲げて突き進みます。しかし戦況が不利となり、退却を余儀なくされるときがあります。その際、無秩序に逃げ出せば軍全体は壊滅します。だからこそ、秩序ある退却を可能にするために「しんがり部隊」が必要とされたのです。
彼らは、最後まで敵を引き受け、時間を稼ぎ、その間に仲間を安全に逃がす。つまり、全軍の命運を背負って「最後に残る」役割です。これは容易なことではありません。時に犠牲を覚悟し、仲間のために自らを差し出す勇気が必要でした。
この歴史的背景から、「しんがり」という言葉には「最後尾を守る者」「縁の下の力持ち」「自己犠牲を伴う支え役」という意味合いが込められてきたのです。
2. 仏教から見た「しんがり」
仏教の視点で見ると、「しんがり」という姿勢は「利他」の精神に通じます。自分が先に救われることよりも、仲間や他者を先に安全へと導く。そのために自らは後ろに残る。これは菩薩の生き方そのものと重なります。
お経の中には「自らは後に回して、まず衆生を救済する」という菩薩の誓いがたびたび説かれています。観音さまもすべての人が救われるまで自分だけ仏果を得ることを拒むという大きな誓いでした。
つまり「しんがり」とは、単なる軍事戦術を超え、人を思い、人に尽くす心の象徴なのです。
3. 日常におけるしんがり
さて、この「しんがり」という言葉を、私たちの日常生活に置き換えてみましょう。
社会の中で「しんがり」を担っている人は、実は数多くいます。
家族のために、自分の欲よりも家計を優先する親 職場で表舞台に立たずとも、裏方で支える人 ボランティア活動で誰よりも早く来て、最後まで片付けをして帰る人 子どもたちの成長を陰で支える教師や地域の大人たち
これらの人々は、華やかな「先陣」ではありません。しかし彼らがいるからこそ全体が成り立ち、安心が保たれているのです。
現代社会は、とかく「先頭に立つこと」「目立つこと」「成果を出すこと」が評価されがちです。ですが、本当に尊いのは「しんがりを担える人」の存在です。最後まで残り、黙々と支える姿には、人としての誠実さと覚悟が宿っています。
4. しんがりに求められる覚悟
「しんがり」は、誰にでも簡単に務まる役割ではありません。
第一に、勇気が必要です。
最後尾は、常に危険にさらされます。仲間が去ったあと、一人で敵に立ち向かわなければならないこともある。現代の生活でも同じです。皆が去ったあとに残る仕事、誰もやりたがらない責任。それを引き受けるのは勇気のいることです。
第二に、忍耐が必要です。
しんがりは評価されにくい役割です。表舞台に立たず、感謝されることも少ない。しかし「誰かがやらねばならぬ」と思って続ける忍耐力が求められます。
第三に、慈悲の心です。
「自分だけ助かればいい」という心では、しんがりを務めることはできません。仲間を思い、他者を思い、そのために後ろに残る。慈悲の心なくしては成り立たないのです。
5. 自分の人生における「しんがり」
ここで視点を変えてみましょう。
人生そのものにおいて、「しんがり」を担う場面は多々あります。
たとえば家庭において、祖父母や親が「しんがり」として家族を守っていることがあります。自分が第一線から退いても、最後尾で家族の背中を支え続ける。その姿があってこそ、若い世代は安心して未来に進めるのです。
また職場においても、定年を迎える世代は、後輩に道を譲りながら最後まで責任を果たす「しんがり」としての役割を担います。その姿勢が、若い人たちへの道しるべとなります。
さらには、私たちの命の終わりにおいても「しんがり」は存在します。
自分が生きてきた証を振り返り、次の世代に遺すものを考える。亡くなるその時まで、家族や周囲を思い、最後尾を守る姿勢を貫くこと。それが人としての「しんがりの生き様」ではないでしょうか。
6. しんがりの美学
日本の文化には、「しんがりの美学」が息づいています。
「花は桜木、人は武士」と言われるように、最後の姿こそがその人の生き様を映し出すものとされました。特に「最後をどう迎えるか」「どうやって責任を果たして退くか」が大切にされてきたのです。
この考え方は現代にも通じます。
仕事を辞めるとき、役割を譲るとき、人生の一つの段階を終えるとき――その最後の態度が、その人の真価を物語ります。去り際に責任を果たす人、最後まで仲間を守る人。そんな「しんがりの美学」を体現する人は、決して忘れられません。
7. しんがりを生きる勇気
「しんがりを生きる」というのは、必ずしも悲壮な覚悟ばかりではありません。むしろ、人としての誇りを持って歩む道でもあります。
先陣を切る人を支える 仲間を守る 後に続く人へ道をつなぐ
これらはすべて「しんがり」の役割です。そこに生きる喜びを見出すことができれば、人生そのものが光り輝くのです。
結びに
「しんがり」という言葉は、単なる軍事用語ではなく、人としての生き方を示す深い教えを秘めています。最後尾を守る人がいるからこそ、全体が安全に進むことができる。影で支える人がいるからこそ、社会は成り立つ。
そして私たち一人ひとりも、誰かにとって「しんがり」となれる存在です。家族にとって、職場にとって、友人にとって――最後に残り、守り、支える人であること。それは、目立たぬようでいて、最も尊い役割なのです。
どうか忘れないでください。
先頭を走ることがすべてではありません。最後尾を守る「しんがり」にこそ、人の真の強さと慈悲が宿っているのです。

